新潟市内は新潟国体の5日後に新潟地震により大きなダメージを受けましたが、それ以降、急速な復興を遂げ、とくに昭和30年代後半から40年代においては、現在の繁栄の基礎を作った建設ラッシュの年代です。そんな中から当時を振り返ってみるのも懐かしく思うのではないのでしょうか。
  柾谷小路  昭和41年1月
信号機が懐かしい形です。角は小林百貨店 小林百貨店は新潟三越に
  柾谷小路  昭和45年12月
旧市役所庁舎。現在はNEXT21ビルに生まれ変わった。
 西堀通  昭和41年5月 遊園地がビアガーデンに・・・・。
西堀通が埋め立てられてから2年目。デパート屋上の遊園地も懐かしい風景です。 NEXT21エレベータから撮ったのでうまく写りませんでした。 m(__)m
 西堀通   昭和46年6月
上記写真の5年後。奥のビル建設は現在の山下家具本店 
  大和デパート屋上の遊園地。昭和44年8月 
七階の展望レストランで食事をしてここに来るのが楽しみだった
  東堀通 長崎屋がオープン。昭和44年11月 
1年後には隣にイチムラが開店し現在はどちらも閉店してしまった。
  白山歩道橋 昭和43年9月
県庁から市役所へ
昭和43年設置、平成5年に道路整備に伴い撤去された。
白山神社、電鉄駅、裁判所を結ぶ3本の橋がクローバー型の曲線を描いていた。
県民会館と白山公園を結んでいた歩道橋、 昭和48年1月 
ビッグサンダーマウンテンに変身 )^o^(
初詣の人々でにぎわっている。昭和43年設置、同60年撤去された。 ここの場所ほど変わった所は無いんじゃないかな ?。
柾谷小路、鏡橋交差点から万代橋方向  昭和47年6月
磯町バス停は現在万代橋寄りに移っている
  マンモスキャバレー香港  昭和47年6月
独特な外観は万代橋から異常に目立った。大人になったら行ってみようと思ったが、大人に成る前になくなった。
万代橋東歩道橋より 昭和44年10月
右側一帯の密集している家屋群はその後の再開発で姿を消していった。
万代橋東歩道橋より 昭和46年8月
上記写真の2年後ミナミプラザ建設予定地へ変貌した。
上記写真を万代橋方向より 昭和46年4月
上記写真を万代橋方向より 昭和47年7月
木の陰で見えない
ミナミプラザの建設が進み、万代シティ周辺の街並みも変わってきた。
万代シティ建設開始 昭和48年3月
新潟交通の本社跡を中心とした大規模なショッピングゾーンの再開発が始まった。
左の建物ははシルバーボールで、奥の建物は加賀田組。
  建設が進む万代シティ 昭和48年8月
ダイエー新潟店が巨大な姿を現し始めると、再開発の規模の大きさを実感させた。
万代シティ明日オープン 昭和48年11月
この日から万代エリアは急速な変容を遂げることになる。
私もオープン日に並びました。とにかくものすごい人の山だったことを鮮明に覚えています。
役割を終えたバスステーション 昭和48年11月
待合室はさながら劇場を連想させたが、万代シティ完成に伴い閉鎖された。
ミナミプラザ 昭和48年11月 
ミナミプラザはホテルを中心とした複合型レジャー施設で、完成当時は市内最大規模だった
  万代橋右岸方向より 昭和46年4月
手前の大屋根は旧バスステーション。大きくそびえるホテル新潟の建物も今は生まれ変わっている 撮影場所が違うのですがホテル新潟を写したかったので・・・。 m(__)m
  埋め立て直前の栗ノ木川 @  昭和42年12月
  昭和50年9月 開通
忘れもしない修学旅行の帰りに開通した為、いつ出来たのって驚いてしまった覚えがあります。
  埋め立て直前の栗ノ木川 A  昭和42年12月
  鳥屋野潟弁天橋から長潟方向  昭和47年4月
   赤道 平和町交差点付近  昭和45年2月
突き当たりが昭和シェル石油、新潟火力発電所、赤道はの名は近くの工場から出た赤色の廃土などを路面に敷き詰めたことに由来していると言う
東大通から新潟駅  昭和46年1月
東大通は昭和33年の新潟駅移転に伴い計画された50メートル幅道路です。
  関屋分水工事  昭和44年7月
平島付近から関屋浜まで約2`、幅270メートルに渡って開削された分水路。
これにより新潟市内は水害から免れている。
関屋分水工事  昭和44年7月
越後線の鉄橋が完成した。左手に見えるのが有明大橋。
分水は昭和47年に通水した。
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